総本家 駿河屋善右衛門の歩み
総本家 駿河屋善右衛門の歴史
同じく江戸時代、総本家駿河屋に大きな転機が訪れました。徳川家康の十男であり、八代将軍・徳川吉宗の祖父にあたる徳川頼宣公との出会いです。頼宣公は幼少時代から総本家駿河屋の菓子を気に入られたと見え、駿河(現在の静岡県)へお移りになる際、総本家駿河屋も共に駿河へお連れになりました。さらに頼宣公が紀州へ移り、紀州徳川家が興ったとき、総本家駿河屋も共に紀州へ。以降ずっと、紀州藩主に献上された菓子は、総本家駿河屋の菓子だったのです。そのひとつが、いまなお看板商品となっている「本ノ字饅頭」。参勤交代の際の携行食としてもお納めして
いました。一六八五年、第五代将軍・徳川綱吉公の御息女「鶴姫」が紀州徳川家にお嫁入りされた際、同じ「鶴」の字を使うのは恐れ多いとして、屋号「鶴屋」を返上し、徳川家にゆかりのある屋号「駿河屋」を賜るなど、徳川家との関わりが深い
「総本家駿河屋」。
「紀州徳川家の顔」ともなる
菓子を二五〇年以上もつくり
続けるなかで、菓子づくりの
確かな技が磨かれました。